乾杯かんぱいと弥栄いやさか

ふたつの祝いの言葉の来歴

「乾杯は戦後にGHQが作った言葉で、本来は弥栄だった」は本当か。

語源、平安の儀式書、万葉集、祝詞、幕末の晩餐、明治の万歳、大正の掛け声までさかのぼって確かめました。各項目に、どこまで裏づけが取れたかを印で示しています。

確実 原典・辞典で確認 有力 研究者の説・二次資料 未確認 出典が弱い・俗説

先に結論

  1. GHQ説は誤り。GHQが「乾杯」を作った記録も、「弥栄」を禁じた記録もありません。この話がネットに出てくるのは2010年代からです。
  2. 乾杯は平安時代の儀式書にすでに出てくる漢語です。グラスを掲げて「乾杯!」と唱える今の形は、明治の後半に広まりました。
  3. 弥栄は「いや(ますます)」と「さか(栄える)」という、万葉集の時代からある言葉の組み合わせです。掛け声としては大正時代に「万歳」の代わりとして広められたもので、「乾杯」の代わりではありません。
一

乾杯の来歴

平安の儀式書から、幕末の晩餐、明治のビールまで

「杯を乾す」という漢語 確実

「乾」は「ほす」と読み、乾かすこと、つまり空にすること。「乾杯」は杯の酒を飲み干すことです。今は一口だけ飲む人も多いですが、字の上では「飲み干す」の意味です。

出典:コトバンク「乾杯」(日本国語大辞典ほか)

中国の古い用例 13世紀 確実

中国の文献で確認できた古い例は、金の元好問『続夷堅志』巻四の「坐久乾杯」です。唐詩や宋の詞にはこの語は見つかりませんでした。古い中国では、杯を挙げる作法を「挙白」などと呼んだという解説があります(有力)。

確認できた中国の例は、次に挙げる日本の『新儀式』より新しいものです。中国から入った言葉なのは確かですが、どの文献から入ったのかはわかっていません。

出典:維基文庫『續夷堅志』卷四 / 騰訊新聞の解説

日本での初出は平安の宮廷儀式書 963年ごろ 確実

欲献御酒之時、親王進跪唱平、即乾杯
『新儀式』巻四。天皇の長寿を祝う儀式で、御酒を献じるときに親王が進み出てひざまずき、杯を飲み干す場面。

『日本国語大辞典』はこれを「乾杯」の最初の用例として挙げています。ただし辞典に載る次の用例は大正末の小説(水上滝太郎『大阪の宿』)で、その間の千年ほどは用例が見つかっていません。宮中の儀式の言葉で、庶民の宴会の言葉ではなかったと考えられます。

出典:コトバンク「乾杯」(日本国語大辞典)

乾杯以前の日本の宴の始め方 有力

日本の酒の作法の土台は直会(なおらい)です。神事のあと、神前に供えた神酒と神饌を下げて皆でいただく「神と人が共に食べる」場で、『日本書紀』にも「嘗(なおらい)」と出てきます(確実)。

中世から近世の武家社会では、肴一品と酒一杯を一献として三度繰り返す式三献が正式な作法になりました。婚礼の三三九度や、親子盃・兄弟盃の「固めの盃」はここから生まれたとされます。宴はまずお神酒を一巡させる「礼講」で始め、そのあと「無礼講」に移りました。杯はひとつを順に回して飲むのが普通でした。

明治末の神前結婚式。三方の上に盃と御神酒の銚子が置かれている写真
神前結婚式の三三九度(1912年) 三方に盃と御神酒が載る。ひとつの盃を交わす作法は、グラスを各自が掲げる「乾杯」とはまったく別の系統。撮影者不詳・パブリックドメイン(Wikimedia Commons)

出典:コトバンク「直会」 / 神崎宣武のコラム(日本酒造組合中央会)6・2 / 月桂冠「乾杯の作法」

「献杯」はもともと敬意の作法 969年ごろ 確実

献杯は、杯を相手に差し出して敬意を示すことです。初出は平安の儀式書『西宮記』。法事などで故人に杯を捧げるという今の意味は、そこから広がったものです。

出典:コトバンク「献杯」

記録に残る最初の西洋式の祝杯はペリーの船 1854年3月27日 確実

ペリー艦隊の公式記録『日本遠征記』(1856年)によると、旗艦ポーハタン号での饗宴で日本側のほうから先に健康を祝う杯を提案したとあります。幕府の松崎満太郎が "Nippon and America, all the same heart"(日本とアメリカは同じ心)と言った場面もここに出てきます。

“The Japanese took the lead in proposing healths and toasts”
日本側が率先して、健康を祝う杯と祝辞を提案した。

ただし、ここにも「乾杯」という日本語は出てきません。

出典:Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan, vol.1(1856)Internet Archive

「井上清直が『乾杯!』と叫んだ」話の正体 1858年

よく出回っているのは「1854年の日英和親条約のあとの晩餐で、英国のエルギン卿が女王の健康を祝う習慣を説明し、幕臣の井上清直が立ち上がって『乾杯!』と叫んだのが日本最初の乾杯」という話です。出典を示したサイトは見つかりません(未確認)。

調べると、年が違います。1854年の日英の約定は、スターリング提督と長崎奉行の水野忠徳が長崎で結んだもので、エルギン卿は関わっていません。エルギン卿が来たのは1858年で、日英修好通商条約は同年8月26日に江戸で調印されました(確実)。

そして元の場面は、使節団の記録『エルギン卿遣日使節録』(オリファント著、1859年)に実際に書かれています。エルギン卿が英国人には君主の健康を祝して飲む習慣があると説明して祝杯を挙げ、続けて将軍とエルギン卿の健康にも杯が挙がった。そこで会話が途切れたとき、謹厳な老人の「信濃守」が突然立ち上がって大声を上げ、一同が笑った、という話です(確実)。

“… emitted a stentorian cheer”
大音声で歓声を上げた。 ──オリファント『エルギン卿遣日使節録』第2巻(1859)

原典にあるのは「大声の歓声」だけで、「乾杯」と叫んだとは書かれていません。「乾杯」という語は、後の時代に話を伝えるなかで付け加えられたと考えられます。

畳の部屋に椅子と机を置き、エルギン卿ら英国側と日本の全権が向かい合って座る石版画
エルギン卿と日本側全権の全権委任状の交換(1858年) この交渉の場に井上清直もいた。F. Le Breton Bedwell画、オリファント『エルギン卿遣日使節録』(1859年)の挿絵。パブリックドメイン(Wikimedia Commons)

出典:Oliphant, Narrative of the Earl of Elgin's Mission, vol.2(1859)Internet Archive / 日英和親条約 / 日英修好通商条約(Wikipedia)

明治の後半、軍隊とビールから広まる 明治30年代〜 有力

民俗学者の神崎宣武は、唱和としての「乾杯」は明治後期に軍隊のなかで流行り始め、とくに英国海軍の影響が大きいとみています。ただ、1905年ごろの日英同盟の歓迎会でもまだ掛け声は「万歳」で、「英艦隊将校歓迎バンザイ会」と題した絵も残っています。

万歳がいつ乾杯に替わったかを示す記録は乏しく、神崎はビールとグラスが普及した明治30年代以降に、略式の宴から広まったと推測しています。同じ『乾杯の文化史』(2007年)で山本志乃は、「万歳」は天皇への祝賀の言葉なので、ふだんの祝杯には「乾杯」が選ばれたのではないかと推察しています。

盃の回し飲みが衛生上よくないとされ、その代わりに乾杯が勧められたという説もあります(明治末〜大正の郡誌が典拠とされる)。

出典:神崎宣武のコラム9 / 月桂冠(『乾杯の文化史』の要約) / Wikipedia「乾杯」

戦前の辞書に、もう載っている 1909年〜 有力

1909年(明治42年)の三省堂『和英辞典 新訳』には Kanpai が英語の toast と同じ意味で載り、1915年(大正4年)の『大日本国語辞典』は「盃を捧げて健康を祝す」と説明しています。大正期には国語辞典の見出し語になり、昭和初期の新聞には「日本酒で乾杯」という記事も出ています。

出典:BuzzFeed Japan のファクトチェック(2023年3月3日) / 月桂冠

洋装の男性2人がビールのグラスを合わせ、和装の女性がそばで微笑む大正時代のアサヒビールのポスター
アサヒビールのポスター(大日本麦酒、1921年) グラスを合わせる乾杯が、もう広告の絵になっている。パブリックドメイン。店内に掲げられた額を2013年に撮影した写真を一部切り抜き(Wikimedia Commons)

小説のなかの乾杯 確実

太宰治『人間失格』では、画学生の堀木がカフェで「お近づきのしるしに、乾杯!」と言います。『斜陽』では、上原が低い声で「乾杯」と言い、二つのコップが力なく触れ合います。どちらも戦後すぐの発表ですが、描かれているのは戦前から戦中の場面です。

ネットでは「夏目漱石も使っている」と言われますが、『吾輩は猫である』『三四郎』『それから』『坊っちゃん』の本文には見つかりませんでした(未確認)。

出典:青空文庫 『人間失格』 / 『斜陽』

英語の toast は「パン」から 確実

英語で祝杯を toast と呼ぶのは、香辛料をきかせて焼いたパンを酒に浮かべた習慣から来ています。シェイクスピア『ウィンザーの陽気な女房たち』(1597年ごろ)に、酒にトーストを入れる場面があります。

「グラスを合わせて酒を混ぜ、毒が入っていないことを示した」という毒見説は、裏づけのない俗説です(俗説)。

出典:Wiktionary “toast” / Wikipedia “Toast (honor)”

二

弥栄の来歴

万葉集の時代からある「いや」と「さか」

ことばの成り立ち

辞書の意味は二つあります。名詞では「ますます栄えること」、感動詞では「繁栄を祈って叫ぶ声。ばんざい」(デジタル大辞泉)。旧字体では「彌榮」と書きます。

出典:コトバンク「弥栄」 / weblio「弥栄」

「いや」は「八(や)」と同じ根 有力

「いや」は、程度がはなはだしいことを表す「や」に「い」が付いた形とされ、この「や」は数の多さを表す「八(や)」と同じ語源だとされます(八重、八百万の「や」)。意味は「ますます」「いよいよ」「いちばん」。

出典:weblio「弥」(デジタル大辞泉)

万葉集の最後の一首に「いや」 759年元日 確実

新しき年の始めの初春の今日降る雪のいや重け吉事

大伴家持が因幡の国守として、正月の宴で詠んだ歌。万葉集4516首のいちばん最後に置かれています。

大意 新しい年のはじめの、初春の今日降る雪のように、ますます重なれ、良いことよ。

万葉仮名の原文:……由伎能伊夜之家餘其騰

万葉集西本願寺本の巻二十の最後の見開き。右頁に新年乃始乃波都波流能の歌と、右一首守大伴宿祢家持作之、左寄りに萬葉集巻第二十の尾題
万葉集 西本願寺本 巻二十の最終頁 右から「新年乃始乃波都波流能家布敷流由伎能伊夜之家餘其騰」「右一首守大伴宿祢家持作之」、そして「萬葉集巻第二十」で全巻が終わる。原本は鎌倉時代の写本、佐佐木信綱・武田祐吉による複製本(国立国会図書館蔵)。パブリックドメイン(Wikimedia Commons)

出典:万葉集4516の原文と解説

ほかの古い用例 確実

菅畳 いや清(さや)敷きて 我が二人寝し
『古事記』神武天皇の歌。菅の敷物をすっかり清めて敷き、二人で寝た。
相見し妹は いや年離(さか)る
万葉集214。一緒に見た妻は、ますます遠い年月の向こうへ離れていく。

「さか(栄)」のもとは動詞「さかゆ」で、万葉集996の「天地の栄ゆる時にあへらく思へば」(天地が栄える時代に生まれ合わせたと思うと)などに出てきます(有力)。

出典:千人万首「神武天皇」 / weblio「弥」

「いやさか」という一語の古い用例は見つからない 未確認

古くからあるのは「いや」と「さかゆ」という部品までです。「いやさか」という形そのものの古典での用例は、今回の調査では見つかりませんでした。「古代からの掛け声」と言える証拠は、今のところありません。

三

祝詞にみる「栄え」のことば

神に申し上げる言葉のなかの、繁栄を祈る表現

最古のまとまった祝詞は『延喜式』巻八 927年完成 確実

祝詞(のりと)は、祭りで神に申し上げる言葉です。まとまった形で残る最古のものは、平安時代の法令集『延喜式』の巻八に収められた二十七篇。祈年祭、大祓、大殿祭などの祝詞がここに入っています。

延喜式の江戸時代の版本の見開き。右頁の冒頭に大殿祭の見出しがあり、漢字と送り仮名で祝詞が書かれている
『延喜式』巻八 祝詞「大殿祭(おおとのほがい)」 宮殿の平安を祈る祝詞。漢字の間の小さな字(宣命書き)が、日本語の助詞や語尾を表す。江戸時代の版本、国立国会図書館蔵。パブリックドメイン(Wikimedia Commons)

祈年祭の祝詞 確実

皇御孫の命の御世を、手長の御世と、堅磐に常磐に斎ひ奉り、茂(いか)し御世に幸はへ奉る
天皇の御代を長く揺るぎないものとして祝い、盛んな御代として栄えさせ申し上げる。

繁栄を祈る祝詞の決まった言い回しです。ここで繁栄を表すのは「茂し(いかし)」「幸はふ(さきはふ)」で、「いや」という語は使われていません。

出典:佛教大学 研究紀要(祝詞本文)

出雲国造神賀詞の「豊栄登り」 確実

朝日の豊栄登(とよさかのぼ)りに
朝日が輝かしく昇るときに。

出雲の国造が天皇に奏上した寿ぎの言葉です。「栄(さか)」が、朝日の勢いある輝きを表すのに使われています。

出典:佛教大学 研究紀要

神社と「弥栄」

神社本庁はその目的のひとつに、天皇の長寿と「弥栄」を祈ることを掲げています(確実)。書き言葉としての「弥栄」は、神道の世界でいまも生きている言葉です。

一方で、祝詞の本文に「いやさか」そのものは確認できませんでした。神社で行われる「弥栄三唱」や「すめらぎいやさか(天皇弥栄)」の唱和が、いつ、誰によって始まったのかもわかりませんでした(未確認)。次の章の大正期の動きと関係している可能性があります。

出典:コトバンク「神社本庁」(日本大百科全書)

四

万歳の誕生と、弥栄の掛け声

弥栄は「乾杯」ではなく「万歳」の代わりとして生まれた

「万歳」は古くは「ばんぜい」 788年 確実

『続日本紀』の延暦7年(788年)の記事に、群臣が舞わずに「万歳」を唱えたとあります。古い読みは漢音の「ばんぜい」で、「まんざい」は呉音(芸能の萬歳はこちら)。今の「ばんざい」という形が広まったのは近代になってからです。

出典:コトバンク「万歳」(日本国語大辞典)

「ばんざい」三唱の始まりは憲法発布の日 1889年2月11日 確実

大日本帝国憲法が発布された日、観兵式へ向かう明治天皇の馬車に向かって、帝国大学の教職員と学生が「万歳」を唱えたのが始まりとされています(『明治事物起原』)。

誰が考えたかは資料によって食い違います(有力)。

  • 和田垣謙三説 「万歳、万歳、万々歳」と唱える予定が、馬が驚いて三声目が言えなかった。逸話の色が強い話です。
  • 外山正一説 「奉賀」という案に対し、最初の音は強いほうがよいとして「バン」を推した。当時の関係者・清水彦五郎の談話が根拠です。
憲法発布の日、儀仗兵に囲まれた天皇の馬車が通りを進み、沿道に人々が並ぶ三枚続の錦絵
憲法発布当日の行幸の行列(楊洲周延、1889年) 観兵式へ向かうこの行列に向けて、はじめて「ばんざい」が唱えられた。パブリックドメイン(Wikimedia Commons)

出典:Wikipedia「万歳」 / 和樂web / 記念日の解説

「萬歳三唱令」は偽文書 有力

明治の太政官布告とされる「萬歳三唱令」が出回っていますが、1980年代末から平成初めに熊本のグループが作った偽物です。万歳まわりにも、作られた話がある例です。

出典:INTERNET Watch

筧克彦が「万歳」の代わりに提唱 大正期 確実

掛け声としての「いやさか」を広めたのは、東京帝国大学の法学者で神道思想家の筧克彦(かけい かつひこ、1872〜1961)とその弟子たちです。万歳に替わって祝意を表す言葉として「弥栄」を提唱しました。

筧の主張は、万歳は1889年に始まった新しい習慣で、漢音と呉音が混ざった濁音の言葉にすぎない。それに対して「いやさか」は清音の大和言葉だ、というものでした(有力)。本人の論考「『ばんざい』と『いやさか』と」は1924年の『神あそびやまとばたらき』に収められています。

出典:昆野伸幸「愛知県における『誓の御柱』」『國學院雜誌』120巻11号(2019) / 西田彰一「植民地における筧克彦の活動について」(総研大、2016) / Wikipedia「筧克彦」

体操・修養団・女学校へ広がる 1922〜1929年 確実

  • 筧が考えた、体操と神道の祈りを組み合わせた「やまとばたらき(皇国運動)」とともに唱えられました。
  • 1922年8月、修養団の講習会は「誓の御柱」の前で全員が「弥栄」を唱えて閉会しています。
  • 1929年ごろ、愛知の知多高等女学校では、生徒がやまとばたらきのあとに「いやさか」を唱えていました。
  • 1927年4月29日に「弥栄会」が発足し、1929年に「大日本弥栄会」に改称。会長は二荒芳徳(ふたら よしのり)、機関誌の名は『いやさか』です。

出典:昆野伸幸(2019) / 西田彰一(2016)

ボーイスカウトの「弥栄」 1920年代〜現在

筧に傾倒した二荒芳徳は、1922年に少年団日本連盟(今のボーイスカウト日本連盟)の初代理事長になりました。これが弥栄とボーイスカウトをつなぐ線です(有力)。1924年に佐野常羽が英国のギルウェル訓練所で「弥栄」を披露し、向こうの祝いの掛け声に採用されたという話もありますが、出典が十分ではありません(未確認)。

いまも栄誉を受けた人に「弥栄」を三唱する作法が続いていて、2026年3月31日には首相官邸でも行われました(確実)。戦前から戦後まで途切れずに使われていることは、「GHQに禁止された」という話と合いません。

出典:Wikipedia「二荒芳徳」 / Wikipedia「佐野常羽」 / 週刊女性PRIME(2026) / ニコニコ大百科「弥栄」

満州の「弥栄村」 1932年

1932年に送り出された第一次武装移民の村は「弥栄村」と名づけられました(確実)。名前は筧が万歳の代わりに唱えた弥栄から来ているとされます(有力)。移民を進めた加藤完治は筧の弟子で、筧本人も1937年7月に現地を訪れています。

出典:岐阜県図書館の資料 / 西田彰一(2016)

北海道の炭鉱では乾杯の音頭に? 未確認

ニコニコ大百科は、石垣福雄『北海道方言辞典』(北海道新聞社、1983年)に「炭鉱で乾杯の音頭代わりに使う」という記述があると紹介しています。辞典自体は実在しますが、本文の該当箇所はまだ確認できていません。もし事実なら、「弥栄で乾杯」は全国の昔からの習慣ではなく、北海道の炭鉱という特定の現場の習慣だったことになります。

出典:ニコニコ大百科「弥栄」

いまの「弥栄」と「万歳」

2019年5月の衆議院の賀詞には「令和の御代の末永き弥栄をお祈り申し上げます」とあり、結婚式のあいさつでも「ご両家の弥栄を」という決まり文句があります。書き言葉としての「弥栄」は健在です(確実)。一方、2019年の即位礼正殿の儀で唱えられたのは「万歳三唱」でした(有力)。

出典:衆議院 賀詞(2019) / 日本経済新聞(2019年10月22日) / Oggi.jp

五

GHQ説を確かめる

「乾杯=完敗。本来は弥栄で、GHQに禁止された」

説の中身と判定 俗説

「乾杯は戦後にGHQが作った言葉で、『完敗』と同じ音にして日本人に負けを唱えさせた。戦前は『弥栄』と言っていたが、GHQに禁止された」という話です。

ここまで見てきたとおり、乾杯は平安の儀式書にあり、明治後半には唱和として広まり、戦前の辞書や小説にも出てきます。弥栄は大正期に「万歳」の代わりとして提唱された掛け声で、乾杯の代わりに全国で使われていた記録はありません。BuzzFeed Japan はこの説を「誤り」と判定しています。

出典:BuzzFeed Japan(2023年3月3日)

GHQが実際に止めた言葉 1945年12月15日 確実

GHQが言葉の使用を止めた例は実際にあります。神道指令は、国家神道・軍国主義と結びついた言葉を公文書で使うことを禁じました。名指しされたのは「大東亜戦争」と「八紘一宇」です。

“The use in official writings of the terms ‘Greater East Asia War’ (Dai Tōa Sensō), ‘The Whole World under One Roof’ (Hakkō Ichi-u), and all other terms whose connotation in Japanese is inextricably connected with State Shinto, militarism, and ultra-nationalism is prohibited …”
公文書において「大東亜戦争」「八紘一宇」、その他、国家神道・軍国主義・過激な国家主義と切り離せない意味をもつ言葉を用いることを禁じる。(神道指令 第1項 j)

対象は公文書だけで、人々の会話や宴会は対象外です。指令の全文に、いやさか・ばんざい・かんぱいの語は出てきません。同じ年9月のプレスコード(報道の規則、全10項目)にも、特定の単語を禁じる条項はありません。

出典:名古屋大学 SCAPIN データベース SCAPIN-448(神道指令) / SCAPIN-33(プレスコード)

説が広まった順番 有力

ニコニコ大百科の調べでは、次の順で話が育っています。GHQが登場するのは、ずっと後になってからです。

  • 2010年 「戦前は乾杯の代わりに弥栄」と書いた個人ブログ(確認できる最古の例)
  • 2018年8月 「負けてから乾杯(完敗)になった」という投稿。GHQの話はまだない
  • 2021年6月28日 GHQに触れた最初の投稿
  • 2023年2月25日 健康情報系のアカウントの投稿が約150万回表示されて拡散。BuzzFeedが「誤り」と判定

出典:ニコニコ大百科「弥栄」 / BuzzFeed Japan

「消された」系の話に共通する型

同じ形の話に「私は戦前『和多志』と書いたが、GHQに変えさせられた」(戦前の用例なし)や、「江戸しぐさは明治政府に消された」(1970〜80年代の創作)があります。共通点は三つです。

  • 史料に出てこない理由を、「権力に消されたから」と後から説明する
  • 「日本古来の美しい言葉が奪われた」という物語にする
  • 語呂合わせ(乾杯=完敗、和多志=多くの志を和す)を根拠にする

出典:Unseen Japan(和多志) / BuzzFeed(江戸しぐさ) / 横山詔一・賀茂道子(Jxiv)

表

年表

乾杯・弥栄・万歳の出来事を一本の時間に並べる

759大伴家持「…今日降る雪のいや重け吉事」。万葉集の最後の歌弥栄の「いや」
788『続日本紀』に群臣が「万歳(ばんぜい)」を唱えた記事万歳
927『延喜式』完成。巻八に祝詞二十七篇祝詞
963頃『新儀式』に「即乾杯」。日本での「乾杯」の初出乾杯
13世紀金の元好問『続夷堅志』に「坐久乾杯」乾杯(中国)
1854ペリーの旗艦ポーハタン号の饗宴で、日本側が先に祝杯を提案乾杯
1858エルギン卿の宿舎の夕食で、井上清直(信濃守)が立って大声を上げる乾杯(「乾杯」の語は原典になし)
1889憲法発布の日、帝国大学の人々が「ばんざい」を唱える万歳三唱の始まり
1905頃日英同盟の歓迎会でも、掛け声はまだ「万歳」乾杯への移行期
1909『和英辞典 新訳』に Kanpai=toast乾杯
大正期筧克彦が「万歳」の代わりに「いやさか」を提唱弥栄の掛け声の始まり
1921アサヒビールのポスターにグラスを合わせる男性たち乾杯
1922修養団の講習会で全員が「弥栄」を唱和。二荒芳徳が少年団日本連盟の理事長に弥栄
1927「弥栄会」発足(1929年に大日本弥栄会)弥栄
1932満州に第一次武装移民の「弥栄村」弥栄
1945神道指令。「大東亜戦争」「八紘一宇」を公文書で使うことを禁止GHQ(弥栄・乾杯は対象外)
1947–48太宰治『斜陽』『人間失格』に「乾杯」乾杯
2021「乾杯はGHQが作った」という投稿が初めて現れるGHQ説
2023同じ説が約150万回表示されて拡散。BuzzFeedが「誤り」と判定GHQ説
結

人前で話すときは

乾杯の音頭やあいさつで「いやさか」を紹介するなら

そのまま使える言い方

「いやさかは、"ますます"の『いや』と、"栄える"の『さか』を合わせた言葉です。万葉集の時代からある言葉の組み合わせで、大正時代に、万歳に代わるお祝いの声として広まりました。今日はこの言葉で、皆さんのますますの繁栄を祈って。いやさか!」

避けたい言い方

「日本古来の乾杯の言葉」「GHQに消された言葉」「乾杯は完敗という意味」。どれも裏づけがありません。

典

主な出典と画像

各項目の下にも個別の出典を示しています

  1. 神崎宣武編『乾杯の文化史』ドメス出版、2007年(要約は 月桂冠・日本酒造組合中央会のコラムによる。本書は未確認)
  2. 昆野伸幸「愛知県における『誓の御柱』」『國學院雜誌』120巻11号、2019年 PDF
  3. 西田彰一「植民地における筧克彦の活動について」総合研究大学院大学、2016年 PDF
  4. Laurence Oliphant, Narrative of the Earl of Elgin's Mission to China and Japan, vol.2, 1859 Internet Archive
  5. Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan, vol.1, 1856 Internet Archive
  6. SCAPIN-448(神道指令)・SCAPIN-33(プレスコード) 名古屋大学 SCAPIN データベース
  7. BuzzFeed Japan「『乾杯は戦後につくられた言葉』SNSで拡散の情報は誤り」2023年3月3日 記事
  8. ニコニコ大百科「弥栄」 記事
  9. コトバンク(日本国語大辞典・デジタル大辞泉・日本大百科全書)「乾杯」「献杯」「直会」「弥栄」「万歳」「神社本庁」
  10. 画像はすべて Wikimedia Commons のパブリックドメイン/CC0 の資料。各図の説明にリンクがあります。