「杯を乾す」という漢語 確実
「乾」は「ほす」と読み、乾かすこと、つまり空にすること。「乾杯」は杯の酒を飲み干すことです。今は一口だけ飲む人も多いですが、字の上では「飲み干す」の意味です。
「乾杯は戦後にGHQが作った言葉で、本来は弥栄だった」は本当か。
語源、平安の儀式書、万葉集、祝詞、幕末の晩餐、明治の万歳、大正の掛け声までさかのぼって確かめました。各項目に、どこまで裏づけが取れたかを印で示しています。
平安の儀式書から、幕末の晩餐、明治のビールまで
「乾」は「ほす」と読み、乾かすこと、つまり空にすること。「乾杯」は杯の酒を飲み干すことです。今は一口だけ飲む人も多いですが、字の上では「飲み干す」の意味です。
中国の文献で確認できた古い例は、金の元好問『続夷堅志』巻四の「坐久乾杯」です。唐詩や宋の詞にはこの語は見つかりませんでした。古い中国では、杯を挙げる作法を「挙白」などと呼んだという解説があります(有力)。
確認できた中国の例は、次に挙げる日本の『新儀式』より新しいものです。中国から入った言葉なのは確かですが、どの文献から入ったのかはわかっていません。
出典:維基文庫『續夷堅志』卷四 / 騰訊新聞の解説
『日本国語大辞典』はこれを「乾杯」の最初の用例として挙げています。ただし辞典に載る次の用例は大正末の小説(水上滝太郎『大阪の宿』)で、その間の千年ほどは用例が見つかっていません。宮中の儀式の言葉で、庶民の宴会の言葉ではなかったと考えられます。
日本の酒の作法の土台は直会(なおらい)です。神事のあと、神前に供えた神酒と神饌を下げて皆でいただく「神と人が共に食べる」場で、『日本書紀』にも「嘗(なおらい)」と出てきます(確実)。
中世から近世の武家社会では、肴一品と酒一杯を一献として三度繰り返す式三献が正式な作法になりました。婚礼の三三九度や、親子盃・兄弟盃の「固めの盃」はここから生まれたとされます。宴はまずお神酒を一巡させる「礼講」で始め、そのあと「無礼講」に移りました。杯はひとつを順に回して飲むのが普通でした。
出典:コトバンク「直会」 / 神崎宣武のコラム(日本酒造組合中央会)6・2 / 月桂冠「乾杯の作法」
献杯は、杯を相手に差し出して敬意を示すことです。初出は平安の儀式書『西宮記』。法事などで故人に杯を捧げるという今の意味は、そこから広がったものです。
出典:コトバンク「献杯」
ペリー艦隊の公式記録『日本遠征記』(1856年)によると、旗艦ポーハタン号での饗宴で日本側のほうから先に健康を祝う杯を提案したとあります。幕府の松崎満太郎が "Nippon and America, all the same heart"(日本とアメリカは同じ心)と言った場面もここに出てきます。
ただし、ここにも「乾杯」という日本語は出てきません。
よく出回っているのは「1854年の日英和親条約のあとの晩餐で、英国のエルギン卿が女王の健康を祝う習慣を説明し、幕臣の井上清直が立ち上がって『乾杯!』と叫んだのが日本最初の乾杯」という話です。出典を示したサイトは見つかりません(未確認)。
調べると、年が違います。1854年の日英の約定は、スターリング提督と長崎奉行の水野忠徳が長崎で結んだもので、エルギン卿は関わっていません。エルギン卿が来たのは1858年で、日英修好通商条約は同年8月26日に江戸で調印されました(確実)。
そして元の場面は、使節団の記録『エルギン卿遣日使節録』(オリファント著、1859年)に実際に書かれています。エルギン卿が英国人には君主の健康を祝して飲む習慣があると説明して祝杯を挙げ、続けて将軍とエルギン卿の健康にも杯が挙がった。そこで会話が途切れたとき、謹厳な老人の「信濃守」が突然立ち上がって大声を上げ、一同が笑った、という話です(確実)。
原典にあるのは「大声の歓声」だけで、「乾杯」と叫んだとは書かれていません。「乾杯」という語は、後の時代に話を伝えるなかで付け加えられたと考えられます。
出典:Oliphant, Narrative of the Earl of Elgin's Mission, vol.2(1859)Internet Archive / 日英和親条約 / 日英修好通商条約(Wikipedia)
民俗学者の神崎宣武は、唱和としての「乾杯」は明治後期に軍隊のなかで流行り始め、とくに英国海軍の影響が大きいとみています。ただ、1905年ごろの日英同盟の歓迎会でもまだ掛け声は「万歳」で、「英艦隊将校歓迎バンザイ会」と題した絵も残っています。
万歳がいつ乾杯に替わったかを示す記録は乏しく、神崎はビールとグラスが普及した明治30年代以降に、略式の宴から広まったと推測しています。同じ『乾杯の文化史』(2007年)で山本志乃は、「万歳」は天皇への祝賀の言葉なので、ふだんの祝杯には「乾杯」が選ばれたのではないかと推察しています。
盃の回し飲みが衛生上よくないとされ、その代わりに乾杯が勧められたという説もあります(明治末〜大正の郡誌が典拠とされる)。
1909年(明治42年)の三省堂『和英辞典 新訳』には Kanpai が英語の toast と同じ意味で載り、1915年(大正4年)の『大日本国語辞典』は「盃を捧げて健康を祝す」と説明しています。大正期には国語辞典の見出し語になり、昭和初期の新聞には「日本酒で乾杯」という記事も出ています。
太宰治『人間失格』では、画学生の堀木がカフェで「お近づきのしるしに、乾杯!」と言います。『斜陽』では、上原が低い声で「乾杯」と言い、二つのコップが力なく触れ合います。どちらも戦後すぐの発表ですが、描かれているのは戦前から戦中の場面です。
ネットでは「夏目漱石も使っている」と言われますが、『吾輩は猫である』『三四郎』『それから』『坊っちゃん』の本文には見つかりませんでした(未確認)。
英語で祝杯を toast と呼ぶのは、香辛料をきかせて焼いたパンを酒に浮かべた習慣から来ています。シェイクスピア『ウィンザーの陽気な女房たち』(1597年ごろ)に、酒にトーストを入れる場面があります。
「グラスを合わせて酒を混ぜ、毒が入っていないことを示した」という毒見説は、裏づけのない俗説です(俗説)。
万葉集の時代からある「いや」と「さか」
辞書の意味は二つあります。名詞では「ますます栄えること」、感動詞では「繁栄を祈って叫ぶ声。ばんざい」(デジタル大辞泉)。旧字体では「彌榮」と書きます。
出典:コトバンク「弥栄」 / weblio「弥栄」
「いや」は、程度がはなはだしいことを表す「や」に「い」が付いた形とされ、この「や」は数の多さを表す「八(や)」と同じ語源だとされます(八重、八百万の「や」)。意味は「ますます」「いよいよ」「いちばん」。
大伴家持が因幡の国守として、正月の宴で詠んだ歌。万葉集4516首のいちばん最後に置かれています。
大意 新しい年のはじめの、初春の今日降る雪のように、ますます重なれ、良いことよ。
万葉仮名の原文:……由伎能伊夜之家餘其騰
「さか(栄)」のもとは動詞「さかゆ」で、万葉集996の「天地の栄ゆる時にあへらく思へば」(天地が栄える時代に生まれ合わせたと思うと)などに出てきます(有力)。
出典:千人万首「神武天皇」 / weblio「弥」
古くからあるのは「いや」と「さかゆ」という部品までです。「いやさか」という形そのものの古典での用例は、今回の調査では見つかりませんでした。「古代からの掛け声」と言える証拠は、今のところありません。
神に申し上げる言葉のなかの、繁栄を祈る表現
祝詞(のりと)は、祭りで神に申し上げる言葉です。まとまった形で残る最古のものは、平安時代の法令集『延喜式』の巻八に収められた二十七篇。祈年祭、大祓、大殿祭などの祝詞がここに入っています。
繁栄を祈る祝詞の決まった言い回しです。ここで繁栄を表すのは「茂し(いかし)」「幸はふ(さきはふ)」で、「いや」という語は使われていません。
出雲の国造が天皇に奏上した寿ぎの言葉です。「栄(さか)」が、朝日の勢いある輝きを表すのに使われています。
出典:佛教大学 研究紀要
神社本庁はその目的のひとつに、天皇の長寿と「弥栄」を祈ることを掲げています(確実)。書き言葉としての「弥栄」は、神道の世界でいまも生きている言葉です。
一方で、祝詞の本文に「いやさか」そのものは確認できませんでした。神社で行われる「弥栄三唱」や「すめらぎいやさか(天皇弥栄)」の唱和が、いつ、誰によって始まったのかもわかりませんでした(未確認)。次の章の大正期の動きと関係している可能性があります。
弥栄は「乾杯」ではなく「万歳」の代わりとして生まれた
『続日本紀』の延暦7年(788年)の記事に、群臣が舞わずに「万歳」を唱えたとあります。古い読みは漢音の「ばんぜい」で、「まんざい」は呉音(芸能の萬歳はこちら)。今の「ばんざい」という形が広まったのは近代になってからです。
大日本帝国憲法が発布された日、観兵式へ向かう明治天皇の馬車に向かって、帝国大学の教職員と学生が「万歳」を唱えたのが始まりとされています(『明治事物起原』)。
誰が考えたかは資料によって食い違います(有力)。
出典:Wikipedia「万歳」 / 和樂web / 記念日の解説
明治の太政官布告とされる「萬歳三唱令」が出回っていますが、1980年代末から平成初めに熊本のグループが作った偽物です。万歳まわりにも、作られた話がある例です。
掛け声としての「いやさか」を広めたのは、東京帝国大学の法学者で神道思想家の筧克彦(かけい かつひこ、1872〜1961)とその弟子たちです。万歳に替わって祝意を表す言葉として「弥栄」を提唱しました。
筧の主張は、万歳は1889年に始まった新しい習慣で、漢音と呉音が混ざった濁音の言葉にすぎない。それに対して「いやさか」は清音の大和言葉だ、というものでした(有力)。本人の論考「『ばんざい』と『いやさか』と」は1924年の『神あそびやまとばたらき』に収められています。
出典:昆野伸幸「愛知県における『誓の御柱』」『國學院雜誌』120巻11号(2019) / 西田彰一「植民地における筧克彦の活動について」(総研大、2016) / Wikipedia「筧克彦」
出典:昆野伸幸(2019) / 西田彰一(2016)
筧に傾倒した二荒芳徳は、1922年に少年団日本連盟(今のボーイスカウト日本連盟)の初代理事長になりました。これが弥栄とボーイスカウトをつなぐ線です(有力)。1924年に佐野常羽が英国のギルウェル訓練所で「弥栄」を披露し、向こうの祝いの掛け声に採用されたという話もありますが、出典が十分ではありません(未確認)。
いまも栄誉を受けた人に「弥栄」を三唱する作法が続いていて、2026年3月31日には首相官邸でも行われました(確実)。戦前から戦後まで途切れずに使われていることは、「GHQに禁止された」という話と合いません。
出典:Wikipedia「二荒芳徳」 / Wikipedia「佐野常羽」 / 週刊女性PRIME(2026) / ニコニコ大百科「弥栄」
1932年に送り出された第一次武装移民の村は「弥栄村」と名づけられました(確実)。名前は筧が万歳の代わりに唱えた弥栄から来ているとされます(有力)。移民を進めた加藤完治は筧の弟子で、筧本人も1937年7月に現地を訪れています。
出典:岐阜県図書館の資料 / 西田彰一(2016)
ニコニコ大百科は、石垣福雄『北海道方言辞典』(北海道新聞社、1983年)に「炭鉱で乾杯の音頭代わりに使う」という記述があると紹介しています。辞典自体は実在しますが、本文の該当箇所はまだ確認できていません。もし事実なら、「弥栄で乾杯」は全国の昔からの習慣ではなく、北海道の炭鉱という特定の現場の習慣だったことになります。
出典:ニコニコ大百科「弥栄」
2019年5月の衆議院の賀詞には「令和の御代の末永き弥栄をお祈り申し上げます」とあり、結婚式のあいさつでも「ご両家の弥栄を」という決まり文句があります。書き言葉としての「弥栄」は健在です(確実)。一方、2019年の即位礼正殿の儀で唱えられたのは「万歳三唱」でした(有力)。
「乾杯=完敗。本来は弥栄で、GHQに禁止された」
「乾杯は戦後にGHQが作った言葉で、『完敗』と同じ音にして日本人に負けを唱えさせた。戦前は『弥栄』と言っていたが、GHQに禁止された」という話です。
ここまで見てきたとおり、乾杯は平安の儀式書にあり、明治後半には唱和として広まり、戦前の辞書や小説にも出てきます。弥栄は大正期に「万歳」の代わりとして提唱された掛け声で、乾杯の代わりに全国で使われていた記録はありません。BuzzFeed Japan はこの説を「誤り」と判定しています。
GHQが言葉の使用を止めた例は実際にあります。神道指令は、国家神道・軍国主義と結びついた言葉を公文書で使うことを禁じました。名指しされたのは「大東亜戦争」と「八紘一宇」です。
対象は公文書だけで、人々の会話や宴会は対象外です。指令の全文に、いやさか・ばんざい・かんぱいの語は出てきません。同じ年9月のプレスコード(報道の規則、全10項目)にも、特定の単語を禁じる条項はありません。
出典:名古屋大学 SCAPIN データベース SCAPIN-448(神道指令) / SCAPIN-33(プレスコード)
ニコニコ大百科の調べでは、次の順で話が育っています。GHQが登場するのは、ずっと後になってからです。
同じ形の話に「私は戦前『和多志』と書いたが、GHQに変えさせられた」(戦前の用例なし)や、「江戸しぐさは明治政府に消された」(1970〜80年代の創作)があります。共通点は三つです。
乾杯・弥栄・万歳の出来事を一本の時間に並べる
乾杯の音頭やあいさつで「いやさか」を紹介するなら
「いやさかは、"ますます"の『いや』と、"栄える"の『さか』を合わせた言葉です。万葉集の時代からある言葉の組み合わせで、大正時代に、万歳に代わるお祝いの声として広まりました。今日はこの言葉で、皆さんのますますの繁栄を祈って。いやさか!」
「日本古来の乾杯の言葉」「GHQに消された言葉」「乾杯は完敗という意味」。どれも裏づけがありません。
各項目の下にも個別の出典を示しています